能登半島地震の発生から、まもなく3週間。被災地からホテルや旅館などの2次避難は、いまだ避難している人のわずか1割にとどまっています。被災者に2次避難を呼び掛ける輪島市の議員を取材しました。

■倉庫内で共同生活…夜は車中泊

    輪島市三井町の倉庫内に案内してくれたのは、市議の門前徹さん(57)です。

門前さん
「(味噌汁をすする)あち!」
「(Q.お味はどうですか?)おいしいです。昨夜と同じで。昨夜から作ってあるんだ、大量に」

    手作りの看板が掲げられた20畳ほどの倉庫には、門前さんをはじめとする6人の近隣住民が身を寄せています。

門前さん
「この横の建物のご夫婦が東京に避難していったんですけど、その方が震災の2日目から露天じゃ寒かろうということで、倉庫になっていたところを半分空けてもらって使わせてもらっています。(周辺には)倒木・土砂崩れの危険もないということで、みんなここに車持って集まって車中泊が始まったと」

    日中は倉庫内で生活し、夜はそれぞれの車で寝泊まりしています。

門前さん
「味噌汁とか、そういったものは食材を持ち寄って作っています。井戸だったり山の水だったり、そういうのを昔から飲用に使っていて、飲み水はこの地区についていえば比較的入手が容易、簡単です」

    ほとんどのインフラはまだ復旧していませんが、6人は必要なものを持ち寄り生活しています。

    発災直後、この避難所には18人ほどの避難者がいましたが、門前さんが2次避難を呼び掛け12人が金沢などに避難していきました。

■無人になると…門前市議「空き巣天国に」

    残った人たちのため、門前さんは被害を免れた自宅の風呂を避難者たちに開放していました。

避難者
「(Q.お風呂は何日ぶり?)1週間くらい」

    灯油のボイラーと発電機を使い浴槽に湯を張っています。

避難者
「(Q.ここ以外にお風呂に入るタイミングは?)いや、行ってきたんですけど、普段15分で行けるところが、1時間以上かかるんですよ。着いたら着いたで順番が…」
「(Q.近いところでゆっくり入れるのは?)超助かります。もう感謝しかない。ありがとうって感じ」

    残る人たちを助けながら、自身も輪島市で避難所生活を続ける門前市議。自ら2次避難を呼び掛けたにもかかわらず、この場に残り続ける理由とは?

門前さん
「(2次避難した人は)鍵も閉められない、戸締まりもできないようなところ、仕方なく残して避難しているんだけど。誰か残っていないと、全く無人になっちゃうと“空き巣天国”になるんだろうなと」

■損壊自宅に空き巣「高級みかんを…」

    門前市議と朝食を共にする70代男性も、2次避難せずに避難生活を続けています。

避難所生活を続ける男性
「家が心配なもので、家の近くにいた方がいいかなと。あとは空き巣。この前(自宅に)入られた」

    自宅が損壊したため、妻とともに夜は車中泊を続ける70代男性。家をあけていた時に空き巣が入ったといいます。

避難所生活を続ける男性
「家から出てきた。荷物を持って」
「(Q.何を持って?)みかん。高級みかん」

    空き巣が入ったという自宅に案内してもらうと、玄関のドアは倒れた影響でガラスがすべて割れてしまっています。下半分に板を付けて入りにくくするのが今できる精一杯です。

    部屋の中はタンスなどが倒れ、至る所に物が散乱。天井の壁も剥がれ落ち、あちこちで雨漏りしています。ふすまや障子も水浸しになっていました。

避難所生活を続ける男性
「(Q.地震直後のまま?)そうです。手をつけられないもので。上からも雨漏れてくるし」

    ここに空き巣が入ったのは、今月5日のことでした。

    警察によると、愛知県に住む大学生が侵入。みかん6個、およそ3000円相当を盗んだ疑いが持たれています。

    当時、家の中には誰もいませんでしたが、地震の後片づけをしていた付近の住民が、みかん箱を持ち出す男を目撃し取り押さえました。

避難所生活を続ける男性
「(Q.金品とか取られた?)金品はまだ取られていないです」

    空き巣を警戒して預金通帳などは持ち出しましたが、外に運び出せないものもまだ残っているため、家から離れたくないといいます。

    今も自宅が見える駐車場で寝泊まりしながら、家を見守り続ける住人男性。金沢などにいる子どもたちからは心配するメールが届いています。

避難所生活を続ける男性
「毎日のようにメールが来る。『帰ってこい』とか『心配』ってくるけど、家あけられないので…ここでどうにか頑張っています。何もなければすぐ行くんだけど、家をあけたら何を取られるか分からないし」

■被災後も営業つづけるガソスタ「復旧の力に」

    被災してから18日間車中泊を続けている山下公美さん(51)も、今は2次避難を考えていないといいます。その理由とは…。

    山下さんは高校卒業以来、33年間、地元のガソリンスタンドで働いています。1日もここでの勤務中に被災しました。

山下さん
「もうすごかったです。立っていられない。地面にはいつくばって、揺れをとにかく収まるのを待っていた。みるみるうちに周りが崩れていって…本当に…怖かったです。奥能登全体がすごい家の倒壊とか、あちこちで目にしています。本当に胸が痛みます」

    緊急車両を優先しながら、営業を続けてきた山下さんが勤めるガソリンスタンド。オープンの時間を迎えると、給水車や消防車両、普段は車に積まれてくるショベルカーも直接、給油に訪れます。

    山下さんはのどを枯らしながら、大きな声を出し続けます。

山下さん
「大きな声で誘導して、少しでも活気があるようにしていきたいと思っています」

    午前10時からは一般車両の給油も開始。ガソリンを求め、車道には長い列ができます。

    車中泊をしながら声を張り上げ働き続ける山下さん。2次避難しないのは、少しでも復旧の力になりたいという思いからでした。

山下さん
「まだまだ車中泊している方たくさんいらっしゃるので、ガソリンがないと車のエンジンもかけられないので。私たちこういう仕事柄、少しでもみなさんのお役に立てればと思っています」

■集落ごと2次避難    説得の県議「命かかってる」

吉田修 石川県議
「『能登はやさしや土までも』ということわざがあるんです。非常に能登の人たちは優しいし温かい、コミュニティーも強いんです。それが逆にコミュニティーを壊したくない。生まれ故郷だから残るという判断をされる、あれが今の能登の状況なんです」

    2次避難は、避難している人のわずか1割にとどまっています。そんななか、いちはやく集落まるごと2次避難を行ったのが地震で孤立した、輪島市の南志見地区です。

    この“集落丸ごと2次避難”を住民に説得したのが、吉田県議でした。

吉田県議
「(Q.どういう言葉で説得をした?)最終的には、個人の判断で決めてください。でも、私の立場から、金沢から能登を見た状況では、これ以上ここでお住まいになっても、生きていける保証はありません。ある意味、命がかかっている状況下で、協力をお願いできませんかと」

    吉田県議の親族が南志見地区にいて、安否の確認が取れないため9日に現地へ入ったといいます。到着してまず、避難所の状況に驚いたといいます。

吉田県議
「真っ暗の中で、体育館の中で布団をかぶって避難者の方が寒さに凍える、暖房も足りない。浦島太郎状態で時間が止まっていた。(金沢などと比べ)能登の避難所は格差が非常にあるなということは感じました」

    孤立地域の現状を目の当たりにし、2次避難に向けて住民の説得にあたりました。

輪島市南志見から避難した人
「ライフラインの復旧は、ゴールデンウィークが過ぎてもお盆が過ぎても分からない。確約できるか分からないから“全員避難”にふみ切りますよと。県庁での話し合いがそうなった、という言い方」

    しかし、反対する住民もいたといいます。

輪島市南志見から避難した人
「『絶対行かない』という人はいて。『自分の財産があるのに』『家がある』とか、『俺はここに生まれたから、ここにいる』とか、『建てて間もない立派な家がある』とか、そういう理由を言う」

吉田県議
「僕の言い方は避難してもいいし、残ってもいいしという2択を話したのですが、それじゃ誰も避難をしないと。じゃあ申し訳ないけど『全員避難してください』と、そこで改めて私の言葉をかえました」

    説得が実り、地区の住民のほぼ全員となる255人が金沢市に2次避難。現在は3次避難に向けて動き出しているといいます。

    輪島市では18日、冷たい雨が降りました。被災地に残る住民は、少しでも生活用水を確保しようと、バケツを並べていました。

吉田県議
「きょう(18日)現在で232人の方がお亡くなりになられているんです。これ以上やっぱり死者を出さない。けが人を出さない。絶対やっぱり能登の人たちを守るというところを今やらなければいけないんだろうというふうに思っています」